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DIR EN GREYをいろんな立場から理不尽に批判してみる(「嫌われる勇気」を読んで)

おしながき

DIR EN GREYをいろんな立場から理不尽に批判してみる

▼「誰の課題か」を分離して、考えよう!

▼まとめ

 

DIR EN GREYをいろんな立場から理不尽に批判してみる

たこ専門の漁師

「なんかしんねぇが、タコが悪いってぇバンドがいるらしいなっ!おれたちはタコ様に飯食わせてもらってんだ!これで売上落ちたらどうしてくれんだ!」

(DIFFERENT SENSEのPVですね)

フェミニズムに染まった方

「女性が不当に被害を受けている映像を使っているなんてバンドなの!女性差別主義者ですね!人権侵害です!」

(OBSCUREのPVですね)

国歌斉唱に反対の方

日本武道館の日の丸の下で『君が代』ぉ!?!?なんてことしてくれるんだ!観に来ている客には国歌を聴かない権利だってある!戦争に賛成なのか!軍靴の音が聞こえる!」

 

フェス参加者

「理解不能。雑音だな。気持ち悪い映像ばかり使って、客をなんだとおもってんだ。ギャーギャー、キャーキャー叫んでいるだけじゃないか。」

お父さん

「なんだこの音楽は!奇声ばっかりあげて、キモチワルイ!そんなことより勉強しろ、勉強!」

お母さん

「キー!そんなもの聴いてないで、家事の一つでも手伝えないの!●●ちゃんは毎日お母さんの手伝いをしてえらいわね。」

旦那さん

「子どもとDIR EN GREYどっちが大事なんだ!そんなことしてる暇があったら、稼ぐ資格のひとつでもとったらどうなんだ。」

奥さん

「そんなことが重要にはみえないわ。家族のほうが大事じゃないの?」←実際に奥さんに言われました

彼氏

「俺とDIR EN GREYの『(メンバー5人のうち誰か)』とどっちが大事?」

DIR EN GREY

「…」

彼女

「私とDIR EN GREYとどっちが大事?」

DIR EN GREY

「痛ッ!」(強めにつねられる)

 

 

DIR EN GREYを批判しているようで、結局『私』を批判しています。

自分の思い通りにならない「あなた」をコントロールしたいがために、DIR EN GREYをだしに使う。

さらに言い換えると「批判している側のコンプレックス」だったりします。

「あなたのためを思って」という言葉も、裏には「私の思い通りに動きなさい」が隠れていることが多いです。

 

ただし正当な批判は参考になることが多いです。真摯に向き合うべきです。

 

 

▼「誰の課題か」を分離して、考えよう!

 

最近読んだ本「嫌われる勇気」がすごく面白かったんです。

その中に今までのお話に、非常に合った内容が書かれています。

「課題の分離」についてです。

 

少し長いですが、面白いので読んでみてね↓

太文字は著書からです。 

 

「嫌われる勇気」P139より

▼「なかなか勉強しない子どもの親だったら、どうするか?」について

 

哲人 アドラー心理学の基本的なスタンスからお話ししておきます。たとえば目の前に「勉強する」という課題があったとき、アドラー心理学では「これは誰の課題なのか?」という観点から考えを進めていきます。

 

青年 誰の課題なのか?

 

哲人 子どもが勉強するのかしないのか。あるいは、友達と遊びに行くのか行かないのか。本来これは「子どもの課題」であって、親の課題ではありません。

 

青年 子どもがやるべきこと、ということですか?

 

哲人 端的にいえば、そうです。子どもの代わりに親が勉強しても、なんの意味もありませんよね?

 

青年 まあ、それはそうです。

 

哲人 勉強することは子どもの課題です。そこに対して親が「勉強しなさい」と命じるのは、他者の課題に対して、いわば土足で踏み込むような行為です。これでは衝突を避けることはできないでしょう。われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。

 

青年 分離して、どうするのです?

 

哲人 他者の課題には踏み込まない。それだけです。

 

青年 ……それだけ、ですか?

 

哲人 およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと---あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること---によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで対人関係は激変するでしょう。

 

青年 ううむ、よくわかりませんね。そもそも、どうやって「これは誰の課題なのか?」を見分けるのです?実際の話、わたしの目から見れば、子どもに勉強させることには親の責務だと思えますが。だって、好きこので勉強する子どもなんてほとんどいないのですし。なんといっても親は、保護者なのですから。

 

哲人 誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。

 

青年 いやいや、まったく違います!そんな事態にならないためにも、人生の先輩であり、保護者でもある親には「勉強しなさい」と諭す責任があるでしょう。(中略)「勉強すること」は子どもの課題かもしれませんが、「子どもに勉強させること」は親の課題です。

 

哲人 たしかに世の親たちは、頻繁に「あなたのためを思って」という言葉を使います。しかし、親たちは明らかに自分の目的---それは世間体や見栄かもしれませんし、支配欲かもしれません---を満たすために動いています。つまり、「あなたのため」ではなく「わたしのため」であり、その欺瞞を察知するからこそ、子どもは反発するのです。

 

部分的な引用なので全体がわかりにくいですが、この後に続く「哲人」の言葉がすべてを物語っています。

 

アドラー心理学のカウンセリングに関して

 

青年 カウンセラーは、相談者の人生を変えてくれないのですか?

 

哲人 自分を変えることができるのは、自分しかいません。 

 

▼まとめ

いくら相手を批判したからって、それぞれの課題が変わることはありません。

 

批判する人の「課題」

あなたの「課題」

DIR EN GREYの「課題」

 

お互いの課題に土足で踏み込むからこそ、軋轢を生む。

 

ではどうすればいいか。

 

きちんと「課題の分離」をして、自分の課題とだけ真摯に向き合うしかないのです。

 

もちろんDIR EN GREYの課題は「いかに自分たちが納得する「痛み」を表現できるか」でしょうかね。

姿勢にブレがないことは皆さんご存知の通り。

淡々と自分たちと向き合って素晴らしい作品を提示し続けてくれていますからね。

 

そう考えると「課題の分離」が徹底できているのは、DIR EN GREYです。

さすがだ!

 

あなたの課題はみえていますか?