遠くの人を信じて、身近な人を疑う悲劇
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「こう考えてください。われわれには、信じることができます。疑うこともできます。そしてわれわれは、他者を仲間と見なすことをめざしています。信じることと疑うことのどちらを選択するかは、明らかでしょう。」 嫌われる勇気 p236より
— enjoy_goodjob (@enjoy_goodjob) 2014, 3月 18
思わず「嫌われる勇気」から引用してしまった一節です。
お気に入りのものって信頼度高いですよね。全幅の信頼ってやつですね。
ざっと思いつくのは、ディズニー映画だとかジブリ映画、Apple製品、特定の作家・アーティストなどなど・・・。
何も考えずに信頼してしまうところがあります。
僕も、DIR EN GREYはこちらの期待を裏切らないな、と思ってます。
ところが身近になると話しは一変します。
学校の先生、スーパーのおばちゃん、コンビニのにいちゃん・ねえちゃん、バイト先の同僚、会社の上司・同僚・部下、親・兄弟・親戚も?。。。。
自分に対して直接影響力の大きい存在に、「疑い」を持って接してしまうんでしょうか。
「こちらが期待していることをしてくれるだろうか」「こちらが不利益なことをされないだろうか」と。
▼自分以外の人間は鏡
自分に疑いをもっていることを感じながら接していて、相手はどう思うんでしょう。「信用できる」とか思われますか。そんなことはないですよね。
自分の思いが相手から返ってくる、いわゆる「鏡の法則」てやつですね。
相手の本心ではないのに、こちらが好きなように解釈したりね。
▼自分と向き合う
相手を「鏡」とするならば、「自分」が写っているわけです。相手のことの前に自分ときちんと向き合えているのか、が大事とおもいます。
自分はこう言われるとこう反応してしまう、とか。自分はこれがコンプレックスだな、とか。
自分を受け入れることができると、相手のことも案外すんなりと受け入れられます。
▼まとめ
以上、とりとめのない文章になりました。
生きてればいろいろありますよ。死んだらなんにもなくなります。
さて、自分と向き合いながら洗濯物を干してきます。